1万年前に日本列島が形成された縄文時代の始まり!弓矢と犬で狩猟し貝塚もできた?

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前章の歴史クイズ(復習)→【第8章】日本の旧石器時代

1万5000年前ごろの氷期の終わりの時期、日本を含む東アジアでは土器が発明されていました。気温が急上昇することで草原が減少し、乱獲された大型動物は絶滅していきました。

現在の日本列島が形成された1万年前、動きの早いシカやイノシシが増え、人々は、石の槍にかえて新たに弓矢と犬を使い、狩りの獲物を増やしました。

人々は海や川に出かけ、丸木舟に乗って魚をとり、海岸では貝をとりました。食べたあとの貝殻や魚の骨が積もってできたところが貝塚です。

日本列島が形成されたころの新石器時代の人々の生活を学びましょう。まずは、縄文時代からです。

【第9章Lesson1】中学歴史要点クイズ問題スタートです!

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1万年前に日本列島が形成!気候も暖かくなり中小動物が増え、狩猟方法も変化

今から( ① )には日本列島が形成され、ほぼ現在と同じ気候になりました。オオツノジカなどの大型動物はいなくなり、しか・いのしし・のうさぎなど、中・小型ですばしこい動物が増えました。人々は、石の槍にかえて、新たな狩猟道具の( ② )を発明し、動物の( ③ )を使い、狩りの獲物を増やしました。

(  )のことばを答えてみよう!

ヒント
  1. Ten thousand years ago!です。
  2. いわゆる「飛び道具」です。
  3. 渋谷駅には「忠犬ハチ公」の像があります。原初から、人間の忠実な友として飼われてきた動物です。
解答
1.1万年前
2.弓矢
3.犬

 

解説

❶ 1万年前

氷河時代というのは寒冷な氷期と気温の上がる間氷期とが繰り返される時代です。現代はその間氷期にあたります。今から1万6000年〜1万5000年前に氷期が終わり地球の温度が急激に上がっていきました。

海面の上昇により、北海道より北からサハリンに至る地域や、日本列島の南部にある九州から対馬半島は大陸とつながり、また、切り離されることを繰り返しながら、今から1万年前にはほぼ現在の日本列島のかたちが形成されたと言われています。

❷ 弓矢

弓矢は飛び道具として投げ槍に続いて発明されたと考えられます。世界には色んな弓矢があります。もっとも原始的な形が日本の弓矢のように、弾性があってしなる長い素材に弦を張った弓があり、矢の先には尖った石器などを取り付け、やがて飛行が安定するように羽根などをとりつける工夫がされてきました。

弓矢の使い方の一例
弓矢の使い方の一例。ブラジルの先住民(インディオ)が弓矢の競技で、弓を引き、狙いを定めている瞬間。(出典:Wikipedia

❸ 犬

縄文時代早期の遺跡から犬の化石が発掘されています。多くは散乱状態ですが、中には埋葬された状態の犬もあり、家族の一員として飼われた犬がいたと考えられます。

しかやいのししの骨などはバラバラになって折られたり割られたりしていますが、犬の骨は、人の骨と同じように完全な形で見つかることが多いです。千葉県の貝塚では前足に骨折の治った跡が残っている犬の骨も発見されています。犬は人間の狩りに欠かせない動物だったのでしょう。

縄文人と縄文犬の復元模型
縄文人と縄文犬の復元模型(国立科学博物館)出典:Wikipedia

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丸木舟を作って漁を行い、骨や貝の捨て場が貝塚となっていった!

新石器時代のはじめとなる縄文時代の人々は、海や川に出かけ、( ① )に乗り、漁を行って魚をとり、海岸では貝をとるようになりました。食べたあとの貝殻や魚の骨が積もってできたところが( ② )です。また、かしやくりなどの広葉樹が増えたので、木の実を大量に採集しました。

(  )のことばを答えてみよう!

ヒント
  1. 太くて丸い樹木を石斧(いしおの)で削ってくり抜き、舟を作ります。これなら水漏れはしませんね。
  2. ◯◯とは、昔のゴミ捨て場、または、これらの解体場です。東京都で発掘された「大森◯◯」が有名です。大阪府にも関西国際空港の近く、岸和田市と泉佐野市の間に、この名の都市があります。
解答
1.丸木舟
2.貝塚

 

解説

❶ 丸木舟

もともと木は水に浮き、しかも、1本の丸太をくり抜いているので頑丈ですね。金属の道具がないなか、大木を切り出して枝を取り、丸太を削るには大変な労力がいったとも思いますが・・・。

伊豆大島や南の八丈島にまで縄文時代の遺跡が見られることは、彼らが外洋航海術をもっていたことを示しています。釣り針だけでなく網を使う漁法も盛んに行われていました。

丸木舟は世界各地で見られますが、北アメリカでは先住民の時代から丸太の上で薪を燃やし、炭化させることで簡単にくり抜く方法が用いられていました。なるほど!と思いますね。

日本では明治時代になってもアイヌ民族では丸木舟が広く使われていました。

丸木舟

スラブ民族の10世紀ころの丸木舟(出典:Wikipedia

❷ 貝塚

貝殻以外にも、鳥獣魚の骨など食料の残りかすや、破損した土器・石器・骨角器などの道具類も捨てられていることが多く、また、人骨が発見されることもありました。

縄文時代の貝塚は、日本列島では2500カ所ほど発見されています。その4分の1近くは、東京湾の東岸一帯で占められますが、それは、開発頻度が高いためです。

千葉県の加曽利貝塚、北貝層断面

千葉県の加曽利貝塚、北貝層断面(出典:Wikipedia

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大森貝塚発見のエピソードを調べてみよう

深掘りテーマ

1977年(明治10年)にアメリカ人の動物学者エドワード・S・モースが東京にある大森貝塚を発掘調査したことから、日本の近代科学としての考古学が始まりました。

日本考古学の夜明け、モースが発見した大森貝塚

モースによる大森貝塚発掘調査報告書「Shell Mounds of Omori」の写真(出典:国立公文書館

品川から横浜までの鉄道が開通して5年後のことです。横浜から新橋に向かう途中の大森駅付近で、写真のように鉄道の複線化工事のため削られた斜面に、貝殻が大量に露出しているのを見たモースは、これが貝塚であると直感したといいます。

当時、多くの日本人が同じ風景を見ていましたが、だれも古代人が捨てた貝の堆積した跡だとは知りませんでした。
明治10年の本格的な発掘調査によって、縄文時代後期の土器や土偶、石斧、石鏃(石のやじり)、骨角器などの遺物が発掘され、サル、シカ、犬、鯨の骨や大量の貝殻が発見されています。

大田区の大森貝墟碑

大森貝墟の碑/東京都大田区(出典:Wikipedia

次回の歴史クイズ→第9章Lesson2
※順番に読み進めると知識が深まります。

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