インダス文明はインドの古典文明?インダス川流域に計画都市が作られた!

前章の歴史クイズ(復習)→【第5章】キリスト教のおこり

紀元前2500年頃、インダス川の流域に麦などを栽培する農業が発達し、モヘンジョ=ダロやハラッパーなど計画都市が作られました。メソポタミア地方とも交易して栄え、インダス文字や印章も使われていました。前1800年頃までのインドの古典文明をインダス文明と言います。

インダス文字は解読されていないため詳しいことはわかりませんが、すぐれた都市文明が始まっていたことを学んでいきましょう。

【第6章Lesson1】中学歴史要点クイズ問題スタートです!

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前2500年頃インダス川流域で農業が発達!都市国家モヘンジョ=ダロやハラッパーが誕生!

紀元前2500年頃、( ① )の流域では、麦などを作る農業が始まり、多くの都市がつくられるようになりました。世界遺産になっている( ② )やハラッパーは規則正しく建物が配置された計画都市になっています。

(  )のことばを答えてみよう!

ヒント
  1. ◯◯◯◯川。インド西部の乾燥地域に流れる代表的な川で、この流域に古代インドの文明が起こりました。
  2. メソポタミア地域の都市国家に匹敵する大きな都市です。「モエンジョ=ダーロ」と記す教科書もあります。
解答
1.インダス川
2.モヘンジョ=ダロ

 

解説

❶「インダス川」

南アジアは、ヒマラヤ山脈からデカン高原、そしてインド洋沿岸に至り、乾燥地域である西を流れるインダス川、温暖多雨の地域である東を流れるガンジス川と、多様な自然環境が広がっています。

インダス川流域には、麦が栽培され、牛や羊などの飼育を組み合わせた生産活動が行われました。ヒマラヤの氷河や雪を源流とするインダス川は、現在のパキスタンを流れアラビア海に注ぐ3000kmを超える大河であり、パキスタンの人々の生活を支えています。

インダス川
インダス川(出典:コトバンク

❷「モヘンジョ=ダロ」

現在のパキスタンにあります。前2500年から前1800年頃にかけて繁栄した計画都市で、最大4万人が居住していました。大規模な洪水で衰退したと言われています。モヘンジョ=ダロとは「死者の丘」という意味で古い時代の死者が眠る立ち入ることのできない所とされていました。

ただ、インダス文字が解読されていないのでその理由は不明です。一定の大きさの整ったレンガが広く用いられて、整然とした街並みが作られていました。

モヘンジョ=ダロ(写真出典:Wikipedia

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インダス文明は青銅器時代の都市文明。牛や羊の印章やインダス文字が使われた!

インダス川流域に広がった都市は、メソポタミア地方とも貿易を行って栄えました。この青銅器時代の都市文明を( ① )といい、前1800年頃には衰退しました。文字や印章がつくられましたが、象形文字である( ② )が解読されていないため詳しいことはわかっていません。

(  )のことばを答えてみよう!

ヒント
  1. 「◯◯◯◯文明」です。
  2. 「◯◯◯◯文字」です。
解答
1.インダス文明
2.インダス文字

 

解説

❶「インダス文明」

青銅器時代の都市文明であるインダス文明は、インダス川流域に前2600年頃から始まり、前1800年に大規模な洪水によって衰退したと考えられていますが不明です。

遺跡は東西1500km、南北1800kmの広い範囲に分布し、遺跡の数は2600におよびますが発掘調査が行われた遺跡はインド、パキスタン、アフガニスタンで147に過ぎません(2010年)。

モヘンジョ=ダロとハラッパーはメソポタミアの小都市に匹敵する規模ですが、多くの都市はメソポタミアの都市より小さいものです。詳しくは「深掘り」でさらに見ていきましょう。

モヘンジョダロ
モヘンジョダロ(Wikipedia

❷「インダス文字」

さまざまな文字も刻まれている印章には、サイ、象、虎などの動物のほかに後のインドの文化にとって重要な動物である牛が刻まれており、商取引に使われたと考えられています。

1960年代初めまでの研究でインダス文字は右から読むことがわかりました。その後、解読にコンピューターが使われ始めてから、インダス文字の解明が少しずつ少しずつすんでいます。

修飾語は前に置かれる、つまり、「青い、空」の順であり、「空、青い」ではありません。他地域の言語と似通っているとの研究もあります。

インダス文明の印章(出典:Wikipedia

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世界遺産の都市国家モヘンジョ=ダロの遺跡の特徴を調べてみよう。

深掘りテーマ

パキスタンのインダス川のほとりに、モヘンジョダロ(「死者の丘」という意味)と呼ばれる丘がありました。ここはインドの最も古い文明の跡で、市街は城壁で囲まれ都市計画にもとづいた約10mの幅の道路が東西南北に走っていました。

家々は焼きレンガで造られ、トイレも水洗式で下水溝もあり清潔で衛生的でした。穀物倉が備えられ、ろくろでつくられた彩文(さいもん)土器も発見されています。大きな水浴場は宗教上の儀式に使用されたと考えられています。インダス文明は紀元前1800年頃までに衰退しました。

大規模な洪水が原因だとも考えられています。この遺跡から出土した印章に刻まれた象形文字(インダス文字)は現在でも解読されていませんが、のちのヒンドゥー教の主神であるシヴァ神の原型や牛の像なども発見され、インド文明の源流と考えられています。

インダス文明で第二の都市ハラッパーは、パキスタン南部のモヘンジョ=ダロからは600㎞離れていますが、かってはインダス川を利用した水上交通路があったと考えられています。

コーヒーブレイク

これは、インドにある大都市ドーラビーラの北門に掲げられた「看板」に記されたと考えられるインダス文字です。


(出典:Wikipedia

あなたなら、この「看板」をなんと読みますか?右からですよ!

次回の歴史クイズ→第6章Lesson2
※順番に読み進めると知識が深まります。

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