前回の歴史クイズ(復習)→第8章Lesson1
氷期に大陸と陸続きであった日本列島に住んだ人々は、寒さを防ぐ衣服を着て炉を設け、体を暖めました。動物を狩り、木の実などを採集して食料にし、生のままか、焼くなどして食べました。
野尻湖では人々は集団をつくり、ナウマンゾウやオオツノジカを狩り、解体していたと考えられています。
当時の人々の生活を野尻湖の化石から見ていきましょう。
【第8章Lesson2】中学歴史要点クイズ問題スタートです!
目次
氷期には岩かげや洞穴に住み、狩猟と採集の生活
( )のことばを答えてみよう!
- 私たちは何を着て、寒さを防ぎ、体を守りますか?
- 自然にとれる食物です。クリやドングリ、椎の実など、総じて何と呼びますか?コリコリ、コリコリ・・・とかじる音。
- 焼くならば、これが必要でしょう。1文字!
❶ 衣服(毛皮)
歴史に出てくる最初の衣服は、アダムとエバが身につけたいちじくの葉を綴ったものでしょうか?そのあと、エデンの園を追い出されるときに彼らは皮の衣を神からもらいました。
氷河時代、今のような化学繊維はもとより、毛織物も綿織物もましてや絹織物もないころ、寒さを防ぐ第一は毛皮でしたね。動物の皮のせんいはそのままでは腐敗したり水分が抜けて硬くなります。
ですから皮を柔らかい革にするために「鞣」をするのです。何と読むでしょうか?「なめし」です。水洗いをした後、ミョウバンやタンニンを使ったり、松などで燻すやり方もありますが、口で噛んで唾液でなめす方法も行われていました。
❷ 木の実
「きのみ」でも「このみ」でもOKです。氷期が終わった1万数千年前になるとクリの種類も増え、やがて栽培もするようになりましたが、氷期には寒冷地で育つ硬い殻のついたクルミなどを探し歩き、打製石器で殻を割って食べていたのだろうな、と思われます。
人は(動物も)いかにして生きるか、そして子孫を残すか、ということにすべてのエネルギーをかけて行ったのです。
❸ 火
火の発見、そして火を使える技術は、人の生活を大きく変えました。火によって暖をとり、他の動物から身を守り、獲物を焼くことで、食べ物を柔らかくし、腐敗や病気を防ぐこともできるようになりました。
すべての動物は自然の影響のままに適応して生きていきますが、そのなかで人間のみが、自然に働きかけて自然を変え、また、衣服や火や石器をつくったように体の機能を道具で高めて厳しい環境でも生き延びる知恵をもつようになりました。だが、人類は「賢明な管理者」として、地球環境の全てを守り子孫にも残していく責務があります。
長野県の野尻湖遺跡からナウマンゾウの化石を発見!
( )のことばを答えてみよう!
- 長野県では諏訪湖に次ぐ大きな湖です。端を尻とも言いますが、県の最北端にあることから信濃尻湖と呼んでいたものが,略されて◯◯湖と呼ばれるようになりました。
- ◯◯◯◯象です。マンモスではありません。
- ◯◯◯◯鹿です。トナカイのような大きな角をもっていました。
❶ 野尻湖
野尻湖周囲は西側一帯をのぞき、火山から流れた溶岩の山で囲まれています。長野県では諏訪湖に次ぐ大きな湖で、標高654mの高原にあります。湖畔には「野尻湖ナウマンゾウ博物館」があります。
野尻湖(後方は黒姫山)(出展:Wikipedia)
戦後、地元住民がナウマンゾウの臼歯(きゅうし)を発見したことから、1962年から湖底や湖畔での発掘調査が始まりました。
約4万年前、野尻湖はナウマンゾウをもとめて旧石器時代の人々が狩り場として利用するようになり、湖底からはたくさんの遺跡が発掘されています。
写真:野尻湖文化の骨器(出展:野尻湖ナウマンゾウ博物館)
「野尻湖ナウマンゾウ博物館」HPの1分間動画
❷ ナウマンゾウ
ナウマンゾウは、現代のアジアゾウと比べてやや小型です。氷期の寒冷な気候に適応するため、皮下脂肪が発達し、全身は体毛で覆われていました。
野尻湖ナウマンゾウ博物館付近にある像(出展:Wikipedia)
❸ オオツノジカ
野尻湖でみつかったヤベオオツノジカは氷河時代に南方からやってきた大型動物でした。肩高1.8m、体長2.6mという大型のシカです。角の広がりは2.5mあり、この大きな角をささえるために、首の骨が丈夫にできていました。川や沼のまわりの湿った草原に住み、冬には南に移動していました。
一方、ヘラジカは北方のサハリン・北海道から日本列島に来て東日本へ移動してきました。(ヘラジカは今も北極圏に生息しています)。
複製標本:原標本はロシア科学アカデミー(出展:標本解説オオツノジカ)
野尻湖で発掘された旧石器時代の遺跡を調べてみよう
野尻湖の湖底からはナウマンゾウの歯の化石だけでも約50頭分が発見されています。また、木で作ったヤリ、ゾウの骨で作ったスクレイパー(皮はぎの道具)やナタ、象牙を加工した骨角器、ナイフ形石器などが出土しています。
野尻湖は、約4万年前の旧石器時代の人々が狩猟した動物を解体する場所であったと推定されています。
旧石器時代人の夢に惹かれて、毎年のように小中学生が発掘調査にやってきました。
今、「野尻湖ナウマンゾウ博物館」には、全国から野尻湖発掘に参加した22,000人にも及ぶ小中学生や一般の皆さんが発見した旧石器時代の化石や遺物が約1,000点展示されています。
コーヒーブレイク 「キバとツノの愛称は?」
さて、とっておきの写真です。
このナウマンゾウの牙とオオツノジカの角の化石がいっしょに発掘されたとき、人々はこれらに愛称をつけました。さて、何と呼んだでしょうか?
「月と星」です。Moon & Star!
牙が細い三日月に、角が星に、確かに見えますね。
なんと夢のふくらむ名称ではありませんか!
次回の歴史クイズ→第8章Lesson3
※順番に読み進めると知識が深まります。
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