前回の歴史クイズ(復習)→第3章Lesson2
ティグリス川とユーフラテス川とに挟まれた、西アジア・中東の豊かな土地に、世界でも最も早く農耕・牧畜が発達し、その技術や文化が地中海地域や東方にも伝わって行きました。
城壁で囲まれた都市国家がいくつも誕生して、それぞれに神殿や王宮が作られ、青銅器が作られ、くさび形文字が作られ、太陰暦や六十進法の数学も生まれる、メソポタミア文明が起こりました。
【第3章Lesson3】中学歴史要点クイズ問題スタートです!
目次
メソポタミア地域で都市国家が成立する
( )のことばを答えてみよう!
- 東側のティグリス川はチグリス川とも発音します。もう一つは、西側を流れる「◯ー◯◯◯◯川」です。
- 大きな村は都市となり、それぞれ独立した国家となりました。
❶ ユーフラテス川
メソポタミアとは、「二つの川の間の土地」という意味です。
この土地は、「肥沃(ひよく)な三日月地帯」と呼ばれるほど、農耕に良い土地で、メソポタミア南部には、紀元前3500年頃からの人口急増で、大きな村がうまれ、文字が使われ、金属器も生産されるようになりました。
エジプト文明よりも早く動き始めたと言えます。
ハラビイェ(シリア)付近のユーフラテス川、ハラビイェは左岸に見える。(出典:Wikipedia)
❷ 都市国家
村は、紀元前3000年頃には、神官や戦士、職人や商人の住む都市として発展し、やがて、シュメール人の都市国家がたくさんつくられました。
都市国家は城壁をもって都市を囲み、それぞれ独立して、王が都市の神をまつり、政治・経済・軍事の権力をにぎって人々を支配しました。
都市国家の一つ、ウルには、ジッグラトという巨大なれんが造りの神殿・聖塔が建てられ、都市の神をまつっていました。
ウルのジッグラト復元図。三層構造で基壇上に月神ナンナルの至聖所があった。(出典:Wikipedia)
青銅器を作り、くさび形文字をもつメソポタミア文明で使用したのは太陽歴?
( )のことばを答えてみよう!
- V字形に尖った木片などで、大昔は木の割れ目にこれを打ち込んで木を裂きました。人間関係を裂く意味で、「関係に◯◯◯を打ち込む」といった言い方もしますね。これらが「楔」です。なんと読むでしょう?
- 太陽暦とは違い、月の満ち欠けを基準とした暦です。
- 今、私たちが使っている時計や分度器がこれですね。
❶ 楔(くさび)形文字
エジプトの象形文字とならぶ、もっとも古い文字です。水でねって柔らかくした粘土板の上に、葦を削ったペンで文字を刻んで行きました。
ペンの先が楔形(くさびがた)になっているので、くさび形文字といいます。粘土板は焼くと、土器と同じく固くなって保存することもできます。
シュメール人が作り出したこの文字はメソポタミア全域で3000年間にわたり使用されていました。現代では、解読されています。
くさび形文字(出典:Wikipedia)
❷ 太陰暦
「太陰」とは空にある月のことです。月の満ち欠けの繰り返しを1ヶ月とした暦です。一月が30日足らずなので、1年が短く、3年経つと1ヶ月ずれてしまいます。
そこで閏月(うるうづき)という月をつくって、1年を13ヶ月とする年をつくり、調整しました。日本では、旧暦といって明治時代(明治6年)までは太陰暦をもとにした暦を使っていました。
今でも、立春(でも、まだ寒いですね)とか、旧暦にちなむ言葉もよく使われています。日本の俳句や和歌には月や季節をうたったものも多く、旧暦の呼び名を調べてみるのも興味深いものです。12月が「師走(しわす)」という言い方もよく使いますね。
❸ 60進法
紀元前3000年から紀元前2000年の頃から、シュメールおよびその後を継いだバビロニアでは、六十進法が用いられました。
60進法の根拠はけっこうむずかしいですね。
「 6(立方体の面の数)と 10(両手の指)と 12(暦の1年)と 20(両手両足の指)と 30(1ヶ月=30日)の五つの最小公倍数であり、約数が多く(2, 3, 4, 5, 6, 10, 12, 15, 20, 30)、分割に便利だからだ」(参照:Wikipediaから要約)といった説明があります。
分割に便利ということが大切です。確かに、12という数字は、2でも3でも割れる数字で、ふだん使いやすいですね。今でも鉛筆12本セットで1ダースというまとまりで扱います。
時間や角度で60進法は時計でもよく知っていることです。かつて日本の度量衡でも六十進法が用いられたことがあり、条里制では 1 町=60歩=360尺で、1歩=6 尺でした。
多様な数字の世界も、味わい深いものがありますね。
バビロニア数字(出典:Wikipedia)
太陽暦と太陰暦との違いをまとめてみよう
太陽暦はSolar calendarといい、太陰暦は Lunar calendarと言います。そのものずばりでわかりやすいですね。
太陽の周りを地球が回るのを1年とするのが太陽暦、月が満月になり細くなって新月になり、また、満月に戻る、この月の満ち欠けで月を決めていくのが太陰暦です。
月の満ち欠けはわかりやすいですが、1ヶ月が30日足らずなので、太陽を地球が回る公転をも加味して、1年を13ヶ月とする閏月を設ける年をつくる「太陰太陽暦」がつくられ、日本も長年、それを採用していました。
ローマ時代の覇者、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、実際の季節とのずれが大きく、しかも、閏月の設定が都合の良いように運営されることを見て、エジプトで採用されていた太陽暦を採用します。紀元前45年1月のことです。これをユリウス暦といいました。
次回の歴史クイズ→第3章Lesson4
※順番に読み進めると知識が深まります。
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