前回の歴史クイズ(復習)→第10章Lesson1
石包丁で摘みとった稲の穂は、よく乾かしたのち、貯蔵穴や高床倉庫にたくわえ、臼や杵を使って脱穀しました。作られた米は、土器で煮て食べました。人々は、麦などの畑作も行い、また、木の実の採集も生活を支えていました。
このころの土器は、火にかける、貯蔵する、盛りつけるなどの使いみちに合わせて作られました。この種の土器は、東京都文京区の弥生町で発見されたので、弥生土器と呼ばれます。
【第10章Lesson2】中学歴史要点クイズ問題スタートです!
目次
稲の穂は貯蔵穴や高床倉庫に蓄え、臼や杵で脱穀した。
( )のことばを答えてみよう!
- 地面の湿気を防ぐしくみの穀物倉庫です。
- 脱穀の道具を2つ答えてみよう。「臼と杵」です。なんと読みますか?満月ではウサギが餅をついていますよ。
❶湿気と小動物から穀物を守る高床倉庫
地面に穴を掘って柱を立てた上に作った掘立柱建物です。地面からの湿気を防ぐために床が高く作られ、ネズミなどが食い荒らすことを防ぐために「ねずみ返し」が柱に取り付けられていました。出入りの階段はそのつど取り外しをしていたのでしょう。収穫物は、貯蔵穴(ちょぞうけつ)にもおさめられました。
高床倉庫は、稲やとうもろこし、小麦などを蓄える倉として古くから世界各地で用いられてきました。現在でも、アフリカや、南アジア・東南アジアに同じものが見られます。
高床式倉庫(復元、吉野ヶ里遺跡)出典:Wikipedia
❷脱穀もみすりをする道具、臼と杵
薄くて硬い弥生土器が作られ、穀物の煮炊きに使われた。
( )のことばを答えてみよう!
- 発見された町の名前から「◯◯土器」と呼ばれるようになりました。
- 厚みは?もろいか硬いか?
❶弥生土器と命名された理由は?
1884年(明治17年)に、現在の東京都文京区弥生の向ヶ岡貝塚で、貝や縄文土器とともにほぼ完形の壺が出土したことから、「弥生土器」と命名されました。
壺形土器 弥生時代(出典:Wikipedia)
「その壺の形は、イチジクの実の形に似ていて、胴の下半分が外側に張り出している。粘土を輪積みにして整形し、外面を丁寧に磨き上げ、焼成の具合で赤みがかった部分もある。壺の肩の辺りを太い縄目と細い縄目で装飾している。この縄文の上に小さな円形が三つを一組として頸部をめぐっている。(Wikipedia「弥生土器」から引用)」とあり、弥生時代後期のものと考えられています。
❷弥生土器と縄文土器との違いは?
弥生時代の道具の種類には何があるか?
稲作をするためには、灌漑・排水用の水路をつくり、田畑を耕し、また、収穫し、脱穀する道具が必要です。竪穴住居や高床倉庫、また、ムラの共同の建物を作るためにも様々な道具が使われました。
木を伐採する重い石斧(せきふ)、これは木の棒の先にとりつけておのになります。鋭い片刃をもつ柱状型石斧や扁平片刃の石斧、これも木の棒にとりつけ、木を削り加工します。それに石包丁。木製の鋤(すき)や鍬(くわ)は、弥生時代後半には先に鉄をとり付けることで、硬い土も耕せるものに進化しました。
コメントを残す